「140字で綴る鉄旅の記憶」ショートエッセイ受賞作品 鉄旅ツイッター
鉄旅オブザイヤー実行委員会では、第2回鉄旅オブザイヤー(2012年)の開催にあたりtwitterによるショートエッセイの一般投稿 「140字で綴る鉄旅の記憶」を募集いたしました。
その中から「旅と鉄道」編集長・芦原 伸氏により選ばれた受賞作品(3作品)をご紹介します。
最優秀賞
当時まだ幼い私の手を引き、父はホームの階段を上った。乗換時間は短い。
駅の放送は発車時刻が迫っている事を告げる。
「特別だぞ」そう言うと父は私をおぶって階段を駆け下りた。4人兄弟の真ん中で、親に甘えられなかった私が記憶する父の背中。それは発車ベルの音と共に思い出される。
ユーザー名:「もも」さん

●審査委員長 コメント  (「旅と鉄道」編集長、日本旅行作家協会常任理事 芦原 伸さん)
少年時代、誰にでも駅の印象は深いものです。この「つぶやき」は“父の背中”という表現が泣かせますね。発車ベルとともに感じた父親の背中のぬくもり————短いなかに情感があふれています。

優秀賞
大垣がどこかも知らず、西へ向かう列車というだけで乗り込んだのが東海道線最終。
名古屋、京都で乗継いで鳥取へ。鳥取も、この列車に乗るのも初めて。 
ワクワクする気持で暗い車窓を眺めていた。失業中だったけど人生は結構楽しいと感じた車中だった。
ユーザー名: 「tadanori  kataoka」さん

●審査委員長 コメント  (「旅と鉄道」編集長、日本旅行作家協会常任理事 芦原 伸さん)
大垣行き夜行どん行は「青春18きっぷ」でおなじみです。旅好きには思い出のいっぱいの列車でしょう。ぶらりと列車に乗って、遠くどこかへ行きたい————その思いは短いなかに伝わってきます。
失業中だけど、人生は結構楽しいという言葉が泣かせます。

佳作
能登線─全長61キロ。世の中の勢いとともに線路が敷かれ、わたしは都会へと運ばれた。
人々を運び役目を終えた線路は切り離された。海沿いでのんびりと余生を送っていた2両編成の車両はその後1両となり、平成17年ついに線路はなくなった。
まるで生き急いだ誰かの人生のようだった。
ユーザー名: 「マカロニ」さん

●審査委員長 コメント  (「旅と鉄道」編集長、日本旅行作家協会常任理事 芦原 伸さん)
どこまでも続く二本の線路は、長い人生にも例えられます。 かつて賑わったローカル線が、次々と廃線に追いやられるのは、移りゆく時代にほんろうされた人の人生とも重なります。 「生き急いだ誰かの人生」という言葉が光っています。